『言志四録』の言葉
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太上(たいじょう)は天を師とし、その次は人を師とし、その次は経を師とす。

  最上の人は宇宙の真理を師とし、第2等の人は立派な人を師とし、第3等の人は経典を師とする。A2

  凡そ事を作すには、須らく天に事うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。

  すべて事業をするには、天に仕える心を持つことが必要である人に示す気持ちがあってはいけない。<A3



憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや、予何人ぞやとは、方に是れ憤なり。

  発奮するの憤の一字は、学問に進むための道具である。かの顔淵が「舜も自分も同じ人間ではないか」と言った事は、まさに憤ということである。<A5


  人は須らく自ら省察すべし。「天何の故にか我が身を生出し、我れをして何の用にか供せしむる。我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり。天の役共せずんば、天の咎必ず至らしむ。」省察して此に到れば則ち我が身の苟くも生く可がらざるを知らむ。

  人間は誰でも、次の事を反省し考察してみる必要がある。「天は何故自分をこの世に生み出し、何の用をさせようとするのか。自分は天の物であるから、必ず天職がある。この天職を果たさなければ、天罰を必ず受ける」と。ここまで反省、考察してくると、自分はただうかうかとこの世に生きているだけでは済まされないことが分かる。<A10


  面は冷ならんことを欲し、背は煖ならんことを欲し、胸は虚ならんことを欲し、腹は実ならんことを欲す。

  顔面(頭脳)が冷静ならば正し判断が出来る、背中が暖かいならば熱烈が人を動かすことが出来る、虚心坦懐にして我見がなければ他人を容れることが出来る、腹が充実していれば胆力が据わって物に動じない、人間はかくありたいものだ。<A19



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