○全活動は執着や結果の期待を持たずに行うべきである、義務としてそれを行いなさい、それにより得られる心の平静をヨーガというのだ。
○
自分は主なる神の永遠の召使なのだということを心底から了解した人は、クリシュナ意識での活動だけに従事する、ブッディ・ヨーガとは、主に対する献身奉仕のことである、献身奉仕こそ生物にとって最も高く、最も正しい行為なのである。
○
最も肝要なのは、「自分は肉体ではない、魂なのだ、肉体と魂は全く別のものだ」という完璧な知識を徹底的にわがものとすることである。理解するだけではなく、この知識を実際に身に付けたなら、必ずそれに相応しい行動が伴うはずである。
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〔サマーディ(三昧)〕は「不動心;クリシュナ意識に満ちる」という意味である。肉体感覚の喜びに関心を持っている人には、サマーディ(三昧)は不可能である。
○
肉体がある限りでは、物質自然の3性質(徳・激情・無知)の中での作用・反作用が必ず生じる。二元相対の現象に振り回されず、耐えることによって、私達は利害得失の観念から解放される。クリシュナ意識に満たされた時、人はこの聖なる境地に達するのである。
○
三重の逆境〔(1)自然界から来るもの、天災地変その他。(2)人間を含めた他の生物から来るもの。(3)自分の肉体の弱さから来るもの、病気その他〕に処して心を乱さず、順境にあって決して驕らず、執着と怖れと怒りを捨てた人を不動心のムニ(聖者)と呼ぶ
。
○
不動心のムニ(聖者)は、どんな不幸や災難にあっても、それは主のお慈悲なのだと思って有難く受け入れる。
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善を見て愛慕せず、悪を見て嫌悪せず、好悪の感情を超えた人は、完全な知識を得たのである。
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亀が手足を甲羅に収めるように、眼鼻舌身耳(五感)の対象からおのが感覚を引き払うことの出来る人は、完璧な意識に安定したと言える。
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感覚を満足させようという衝動を抑える唯一の方法は、クリシュナ意識になること、すなわち、全感覚を主への超越的愛の奉仕に従わせることである。
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