『洗心洞箚記』の言葉2
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153、〔(つつ)しむ〕とは、自分の心を本来の至善に基礎を置く(今ここに生きる)ことである。



  162、肝腎なことは、〔人欲を捨て去って天理を保持する(今ここに生きる)こと〕である。


  166、〔太虚に帰一している人(今ここに生きている人)〕とは、〔有能なのに無能な人にも問い、豊かなのに乏しい人にも問い、持っているのに持っていないようにし、充実しているのに空っぽなようにし、危害を加えられても仕返しをしない〕人である。


  167、〔太虚(捉われ無き;今ここに生きる)〕を本体(根本)とし、人民を利済する(救う)ことを作用(働き)とする、そういう人は天(理想)そのものである。(陳継儒)


  178、下11、理(理性;本来態;内側)と気(身体;現実態;外界)をバラバラにならないようにし、〔独りを慎み〕〔心を欺かない(今ここに生きる)〕修養を普段から行なう!


洗心洞箚記(せんしんどうさっき)下

  4、〔太虚(大いなるもの;内在神)〕とは、〔仁義礼智信〕の5つの性が未分化なままのことである。


  10、学問をし始める幼少の時に〔自分さえよければいいという心(自我;エゴ)〕を捨てさせることが、〔教育者の責任〕である。


  16、〔真情と誠実〕がこもっていれば、君子は必ず親しみ信じる。


  18、〔無能な役人〕は、〔賄賂を貪る役人〕よりも害を及ぼすことは深刻である。(欧陽脩)


  33、真に義(太虚であることの成就)理(理性;本来態;内側)を楽しんで、利益欲望(自分さえよければいいと思う心;自我;エゴ)を忘れることだ。



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