人間学37
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〔絶対の立場に立つ〕とは、〔万物を生々化育する(大いなるもの)心になることである〕。(安岡正篤)


  〔怒ること〕は〔猛毒を発すること〕で〔先ず肝臓がやられます〕、〔和気藹々としている〕ことが〔一番健康に恵まれます〕。(安岡正篤)


  自ら治むる人にして初めて人を治めることが出来る、本当に自ら愛し得る人にして初めて本当に人を愛することが出来るのである。(安岡正篤)


  〔執着心を去る〕と、〔忙しい中にも余裕が生まれる〕ものである。(安岡正篤)


  〔人物が出来る〕と、〔しっとり落ち着いて柔らかく和やかに声も妙韻を含んで何となくリズミカル〕であり、〔人生の諸問題も難なく解決する〕、詰まらぬ人間ほど騒々しくがさつである。(安岡正篤)


  〔去るべきもの〕は、〔躁心(がさつで落着きが無い)と浮気(浮ついた気持ち)と浅衷(浅はかな心)と狭量(狭い度量)〕であり、そのためには〔旨静(静を旨とする)〕が大切であり、そうすれば精神・生活にゆとり(閑暇)が出来る。(呂新吾)


  〔人の上に立つ者〕は、〔人から怨まれることを覚悟しなければならない〕。(呂新吾)


  〔何か利を興す〕には〔性急であってはいけない〕、よく左右を見ることが大事である。(呂新吾)


  ただ〔弊害を改革しようとする〕と、同時に〔利点まで失ってしまう〕。(呂新吾)


  〔害せざるようにする〕のが〔本当に利することである〕、〔改革しようとする〕よりも〔何もしないようにする〕のが〔廃れたことや破れたことを興すことになる〕。(呂新吾)


  〔世教(人間の道;道義的精神)〕を厚くして置くことが、大切である。(呂新吾)


  〔君子〕は、どんなに盛徳があっても容貌は愚のように見える。(中国の名高い言葉)


  〔白鷗〕は、綺麗な青々と澄んだ水の中に悠々と浮かんで居るが、しょっちゅう脚を動かしている、あれを見習え。(木村蓬莱(ほうらい)


  自分の<縁>から始め、手掛かりを掴んでそこからやって行く、飛び越えたことはやらない、気分や観念に浮かされたことはいけない、即ち〔随縁行〕である。(安岡正篤)


  何か仕事が無ければ飯が食えないという〔俗の器;器物;小器;器人〕は最もつまらぬ者だ、どこへ転がして置いても飯が食えるというのが〔道の器(道器;大器;道人)〕である。(安岡正篤)


  〔知る者〕は〔言わず〕、〔言う者〕は〔知らず〕。(安岡正篤)


  〔学問求道〕は、常に〔繰り返し繰繰り返し反芻する〕ことが大事です。(安岡正篤)



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