○諸葛孔明曰く、「国を
○ 大道に通ずるに非ずんば、安んぞ大人たることを得んや。(『講孟劄記』)
○ 〔養〕は、涵育薫陶して其の自ずから化するを俟つを謂うなり。(『講孟劄記』)
○ 暗主に忠なるこそ真忠なれ、頑父に孝なるこそ真孝なれ、責罰せられて忠孝なるこそ真の忠孝なれ。(『講孟劄記』)
○ 〔仁と礼〕を〔心に存して放さぬ〕ことが大切である。(『講孟劄記』)
○ 〔怒り〕を〔蔵さず〕、〔怨み〕を〔宿めず〕。(『講孟劄記』)
○ 〔聖人の行ない〕は、〔その身を潔くするに帰するのみ〕。(『講孟劄記』)
○ 〔国政の要〕は、〔祖法を守る〕より重きはなし。(『講孟劄記』)
○ 〔友なる者〕は、〔其の徳を友とするなり〕。(『講孟劄記』)
○ 〔誅(処刑)〕は太甚(極端)を除くもの(一時の手段)なり、〔教〕は終始をなすもの(一貫の道)なり。(『講孟劄記』)
○ 己れ先ず聖賢の言行を言行すべし。(『講孟劄記』)
○ 〔易(別の君を立てる)〕と〔去(その位を去る)〕と〔死(死して諌める)〕の三臣あらば、国家亦恃むべし。(『講孟劄記』)
○ 吾が敬を行なう、故にこれを内と謂うなり(自分の心の内に在る<敬意を実行する>のが<義>であるから、<義>を<心の内に在る>と謂うのである)。(『講孟劄記』)
○ 〔心〕に至りては、〔一として人目に逃るる所なし〕。(『講孟劄記』)
○ 〔熟〕とは、〔口にて読み読みて熟せざれば心にて想い想いて熟せざれば行なう行なって又想い想いて又読む〕、誠に然らば〔善の善たること疑なし〕。(『講孟劄記』)
○ 〔人の人たる所〕は、〔私心を除去する〕にあり、是聖学の工夫なり。(『講孟劄記』)
○ 国の為に命さえ惜しまねば、技芸無しと云えども武士なり。(『講孟劄記』)
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