『バガヴァッドギーター』の言葉7
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〔主(クリシュナ;大いなるもの)〕は一つであるけれども、数限りないハートの中にもスーパーソウルとして宿っている。(『バガヴァッド・ギーターあるがままの詩』)


  〔清浄無垢の完璧な境地〕が、〔クリシュナ意識(自分はクリシュナの永遠の僕であることに安住する;解脱している;主への献身奉仕;バクティ・ヨーガ)〕である。(『バガヴァッド・ギーターあるがままの詩』)


  多生にわたって清浄の行為を積み重ね、一切の汚濁と二元相対観念を遠離した時に、人は初めて至上の歓喜をもって〔主(クリシュナ;大いなるもの;神)〕を愛し仕えるようになる。(『バガヴァッド・ギーターあるがままの詩』)


  〔クリシュナ意識(バクティ・ヨーガ)〕になることが、〔ヨーガの最高段階(極致)〕である。(『バガヴァッド・ギーターあるがままの詩』)


  〔生命体の向上の究極目的〕は、〔クリシュナ(主;大いなるもの)の元に到達すること〕である。(『バガヴァッド・ギーターあるがままの詩』)


  〔至上主(クリシュナ;大いなるもの)〕に絶対服従しない内は、どんなことをしても罪悪業報を完全に消毒することは出来ない。(『バガヴァッド・ギーターあるがままの詩』)


  〔主の聖なる御名〕と〔主御自身〕とは不異なのだから、献身者が〔ハレー・クリシュナ ハレー・クリシュナ クリシュナ クリシュナ ハレー ハレー ハレー・ラーマ ハレー・ラーマ ラーマ ラーマ ハレー ハレー〕を唱えている時はクリシュナとクリシュナの内なる勢力が献身者の舌の上で踊っているのだ。(『バガヴァッド・ギーターあるがままの詩』)


  〔クリシュナ〕へ食物を捧げそのお下がりを食べると、〔クリシュナ化〕されて行く。(『バガヴァッド・ギーターあるがままの詩』)



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