○〔事を為す〕には〔誠(己を尽くす)〕が無ければ、あらゆるものは成就しない。(佐藤一斎)
○ 〔養生の工夫〕は、ただ〔節(物事を過度にせず、適度を守ること)〕にある。(佐藤一斎)
○ 〔心がはっきり明らか〕であれば、〔事の怒らない前にその兆しを知ることが出来る〕。(佐藤一斎)
○ 〔器に汲んだ水〕が〔生〕であり、〔海に返す〕のが〔死〕と観られる。(佐藤一斎)
○ 〔学問の段階〕は、〔初めは古人の文章を学び、次には古人の行為を学び、最後には古人の真の精神を学ぶ〕のであるが、〔心で心の学問をする〕ことは終始一貫している。(佐藤一斎)
○ 〔聖賢の書かれた経書を読む〕ということは〔自分の本心を読む〕ということであり、〔自分の本心を読む〕ということは〔天地宇宙の真理を読む〕ということである。(佐藤一斎)
○ 『大学』は<春>のように修身・斉家・治国・平天下と発展して行く、『論語』は<夏>のように様々な弟子に対して色々な問題を教えるもので恰も万物が繁茂している状態であり、『孟子』は<秋>に実を結ぶように実際の功績を外に表わしており、『中庸』は恰も<冬>のようで儒教の哲理を説いている。(佐藤一斎)
○ 〔学問を始める〕には、必ず〔立派な人物になろうとする志を立て〕、それから書物を読むべきである。(佐藤一斎)
○ 〔学問のし始め〕は〔字の有る書〕を読まねばならないが、〔学問が上達して来た〕ならば〔字の無い書(天地自然の理法;社会の実態;人情の機微等)〕を読みとらなければならない。(佐藤一斎)
○ 〔立志〕は、上は〔道理を究明する〕ことから下は〔日常茶飯事〕に至るまで徹するよう工夫することが大切である。(佐藤一斎)
○ 〔物事が思うに任せない失意の時〕こそ、〔自己を鍛錬する好機(チャンス)〕である。(佐藤一斎)
○ 〔得意のことが少なく失意のことが多い〕のは、〔拙いことを跳除けようと種々思い巡らすから、智慧や思量が増えて却って幸いである〕。(佐藤一斎)
○ 〔楽しみ〕は、〔自分の心の持ち方(内側)〕にあるのであって〔自分の外側〕にあるのではない。(佐藤一斎)
○ 〔胸の中が清々しく心地良い〕ならば、〔世間に起こるあらゆる困難も何ら行き詰まること無く処理して行ける〕。(佐藤一斎)
○ 〔世の中の事物〕には必ず〔釣り合いの理〕があり、〔極端に陽気なものが出ると、必ず極端に陰気なものが現れる〕。(佐藤一斎)
○ 〔寒さ厚さ〕は〔天地の呼吸〕であり、〔苦楽〕は〔人生の呼吸〕であり、これは〔世界は活物である〕所以であり、一喜一憂するには当たらない。(佐藤一斎)
○ 〔身体を動かす〕と、〔心は安逸になる〕。(佐藤一斎)
○ 〔心の持ち様〕は、〔明朗な月・清らかな風〕のようにさっぱりとしているのが良い。(佐藤一斎)
○ 〔人〕は、〔忙しい中にも静かな時を持たなければいけないし、苦しみの中にも楽しみを保つ工夫をしなければいけない〕。(佐藤一斎)
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